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2011年2月25日金曜日

[メモ] キュレーションってなんなのさ

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最近、「キュレーション」という言葉がにわかにバズワードになってきていますね。
メトロポリタン美術館の教授こと天才キュレーターは、漫画ギャラリーフェイクの藤田玲司ですが、今注目されているのは美術とはあまり関係ありません。

特に頻繁に目にするようになったのは、『キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる』が出版されてからかな、というのが個人的な感想です。
では、キュレーションとはなんなのか調べてみると、本の説明文に以下のようにありました。

キュレーション【curation】
無数の情報の海の中から、自分の価値観や世界観に基づいて情報を拾い上げ、そこに新たな意味を与え、そして多くの人と共有すること。

一方、ギャラリーフェイクなど美術館のほうの文脈での意味は、Wikipediaによると以下のようです。

キュレーター 【curator】
欧米の博物館(美術館含む)において、資料に関する鑑定や研究を行い、業務の管理監督を行う専門職。(※curate―展覧会を組織すること)

どちらもモノの真贋を判定して、まとめあげるという点で同じなのかなと思います。

これから情報氾濫社会とも言える世の中になっていく上で、情報を取捨選択しまとめることに対するニーズが高まっていくと勝手に解釈しています。

【閑話休題】

と、こんな感じで12卒の方などと話していたのですが、その中で「では、既存のメディアがどうなっていくのか」という話題が出ました。
一致した見解としては、「今のメディアはダメだよね」という部分です。

まず、メディアが果たす役割というのは2つで、ニュースとジャーナリズムなのかなと思います。

ニュース:単なる事実報道。一次情報。
ジャーナリズム:調査などに基づいた私見の混じった解釈や考察。

というのが、自分の中での定義です。

これを例えば新聞に当てはめて考えると、新聞というのはニュース+ジャーナリズムで構成されています。
単なる為替情報から社説まであり、時にニュースとジャーナリズムの境目が曖昧になっていて、それが近年メディアなどの信用を下げている一因なのかなと思います。

また、新聞は基本的にひとつの事象に対してひとつのスタンスであることが多いので、インターネット上の論壇に比べて多様性に乏しいです。
上述した本の著者である佐々木俊尚氏は、田原総一朗氏との対談「なんで読者は新聞を読まなくて、ネットに行くんですか。」という質問にこのように述べています。

“新聞よりもインターネットの言論空間のほうが、はるかに多様性が確保されているという現実があるんです。要するにいろんな意見が出ていて、それを横断的に読める。
(中略)
もちろん一次情報は新聞で提示されているんだけれど、それをどう意味づけるのかという部分は新聞ではカバーしきれなくなってきている、という状況があるんです。”

これに対して、「ネットだから信用できない」という批判もあるでしょう。
そこはその通りでネットにおける「質」の確保というのは難しく、特に一次情報に関しての誤りは頻繁にあります。
しかし、ジャーナリズムという面では、ブログメディアという形である程度の質の担保を行おうとしたり、様々なソーシャルな仕組みによって良い情報は拡散し、粗悪なものは淘汰されます。

さらに言えば、基本的には世の中というのは「答えのない世界」であるので、ひとつの事象に対して複数の見解があるのが普通です。
すると、新聞のひとつの見解しかないというのは、むしろ不自然であるのではないかとなります。

要するに、一次情報たるニュースは新聞が担い、私見や見解たるジャーナリズムはインターネットやその他メディアが担い、その境界はしっかり引かれるようになるのではないでしょうか。

個人的には、新聞は無駄な情報が多いので、情報のスリムアップ化して今の半分くらいの情報量にして欲しいです。
新聞を読む時間が勿体無いので、それこそ、Twitterの1ツイート分くらいの分量にして欲しいです。

という感じで、思ったことをつらつらと書いてみました。


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